五角形について
Aqoursが5周年ということで、"Fantastic Deperture"の衣装には、五角形のモチーフが描かれていました。
そこで特に脈絡はないですが、私が思う五角形のことについて書きたいと思います。
まず、五角形とはどういう図形なのかということを考えると、非常に作図し辛い図形であると言える。
小学校の時になんとなく五角形の作図方法について教わった気もするが、少なくとも今「五角形を作図しろ」といわれても、私はできません。
一方で、自然界にとっては五角形という図形は結構ありふれた図形として受け入れられているようである。
例えば、桜の花びらに概評される多くの花の花弁は五角形をとっているし、ヒトデとかも五角形だ。
これにはフィボナッチ数列とかが絡んでくるようなので、なかなか難しい話になるけれど、とにかく自然界にとっては五角形というものはそれほど異端な図形ではないようだ。
しかしながら、結晶学の世界ではなかなか五角形というものは受け入れらていない。
普通世の中にある結晶は、3回対称とか4回対称とか6回対称とかといった「対称軸」を持つ。簡単に言えば、平面上に三角形、四角形、六角形などの合同な図形を敷き詰めようとしたとき、それらが問題なく敷き詰めることが出来るような回転軸を持つ(意味不明かもしれないけど、結晶の並進対称性とかのWikiの記事を参照されたし)。
しかしながら、合同な五角形を平面上に敷き詰めようとしても、それは不可能である。
従って、5回対称軸をもつ結晶というものはあり得ないとされてきた。
その概念をある意味で覆したのが2011年にノーベル物理学賞を受賞したダニエル・シェヒトマンである。
なんかアルミニウムとかよくわからん軽金属とかの合金をいろんな条件で結晶にしてたら、5回対称軸を有する結晶らしきものが出来たらしく、それは「準結晶」と名付けられました。
準結晶は非晶質(アモルファス)と結晶の中間に位置する物質として結晶学会にも提起されました。その物性についてはあまり魅力的でなかったことは残念である。
この二次元的なパターンを提唱したのが、今年のノーベル物理学賞を受賞したペンローズです。というかそもそもペンローズパターンの三次元バージョンが準結晶みたいな位置づけだと私は思っているので、シェヒトマンがノーベル賞を受賞した時点でペンローズも受賞しても良かったんじゃないかって思う。
詳しくはペンローズタイルとかで検索してみてください。いくつかのイスラム建築の中にペンローズパターンが散見されます。
なんでこの記事を書いてるのかというと、冒頭のAqoursの"Fantastic Depperture"の衣装にインスパイアされたからです。
とにかく五角形は結晶学をちょっとでもかじったことのある人にとってはちょっととっつきづらい奇妙な図形だし、一方で結晶学の世界にも五角形の存在が許容されつつある。
同じ自然界に存在する桜とかの花びらがいとも簡単に五角形を形作ってみせる一方で、結晶についてはなかなか五角形と親密な関係を築くことに苦労していることは、なかなか興味深いことです。
音楽について思うこと
音楽をどう考えていくか書いてみる。
2020年現在日々何曲もの音楽、何枚ものアルバムがリリースされているが、果たしてそれがあるべき姿なのか。
世の中には数えきれないほど多くの音楽があり、その中には名曲もあれば正直聴く価値のない音楽もある。
短い人生の中で、どの音楽を選択して聴くかは非常に重要な問題であると言える。
何百年も前に作曲された、いわゆるクラッシック音楽といわれる音楽が、これまでずっと聴かれ続け今でも演奏され続けているのは、それらの曲が名曲だからである。
そういう何百年も色あせずに人々を魅了する音楽を、短い人生の中で精一杯聴くことは、非常に人生を豊かにし価値のある行動であると、私は考える。
クラシック音楽まで行かなくとも、1960年から1990年にかけてにしても、素晴らしいロック、ファンク、ソウル、R&B音楽が発表されており、それらを重点的に聴くことも、非常に有意義であると私は考える。
個人的にRed Hot Chili Peppersの"Blood Sugar Sex Magik"が自分の中でベストなアルバムなので、聴く音楽に迷ったらとりあえず聴くくらい好きだ。
要するに、既に発表されている名盤・名曲を聴くだけでも、人生はあまりに短くはかないものであり、新たに発表される音楽にはかまっていられないのが事実である。
この世は音楽に溢れすぎており、わざわざ新しい曲を作る必要なんてないと思う。もう既に数多の名曲・名盤がこの世にあふれているのだから。
正直良作か駄作かの評価が定まっていない新曲を聴いている暇なんてないし、ましてやその曲が駄作だった時には目も当てられない。
一方でやっぱし新曲を聴きたいという気持ちにも、当然なる。
私は鈴木愛奈さんのファンであり、彼女のソロアーティストとしての活動を応援している。
そんな彼女が新曲を発表しようものなら、どんな音楽よりも優先して聴くくらい好きだ。
良作か駄作かなんて関係なく、鈴木愛奈さんの歌う曲はすべてが名曲なのだ。
鈴木愛奈さんに限ったことではなく、推しのアーティストやバンドに新曲を発表してほしい気持ちはやっぱりあって、発表してくれるとやっぱりすごく嬉しい。
結局どうやって音楽と向き合うべきか、全くもって分かっていないのが事実である。
たまに「この曲を聴かずして人生を終える人がいるなんて、ほんともったいないな」って思うときがあるけど、そんな曲が各人それぞれに有る訳で、私はそういった曲を是非聴いてから死にたいと思っている。
だから最近はなんとなくクラシック音楽にも手を伸ばしたり、Jazzや演歌など、ジャンルにこだわらずに色々聴いてみたりしている。
そもそもジャンルなんて人が勝手に後付けで作ったものだし、ほとんど意味をなさないものだと個人的には思ってる。
短い人生の中で出来る限り多くの素晴らしい曲を出会いたいと思っているし、対して素晴らしい曲やアルバムは何年も擦り切れるくらい聴きたいと思っている。
本当に音楽を探求する者にとって、人生はあまりにも短くはかない。
それは文学や芸術にも言えることだけど、その話はまた今度気が向いたらします。